おせち料理の存在意義~今年も食べられるという幸せ~
私の子供の頃のおせちの思い出。 それは「黒豆」に始まり「黒豆」に終わります。 おせち料理=「御節料理」と呼ばれる非常におめでたい食べ物。
そんな認識で毎年我が家でも元旦の朝には近くのスーパーで予約したおせち料理を食べていました。 いや、正確には当時「食べさせられていた」ような気がします。
「どれも一口以上は食べなくてはならない」
というルールの下、幼少期は苦手であった黒豆や昆布巻きなど、 「なんとなく食べないと怒られるor悪いことが起きてしまうかもしれない…」という恐怖の元、食べていた記憶があります。
私は父母弟との4人家族でしたが、数の子や玉子など子供にとって食べやすい物は弟が端から食べてしまうし、親は 是非子供に…と、気づいたら私の取り分が増えていく始末。 子供の頃はあんまり良い思い出がありませんでした。
ですが今自分も当時の親くらいの年齢になり、気づいた事があります。 それは、おせち料理はお目出度い物として食べる、という意味合いの他に、 「今年も家族でお正月を迎えられた」という、家族の幸福度を表す象徴としての意味合いもあるんじゃないかなと 思いました。
そう、親も実は変化していく世の中で、他の大多数の家庭と同じく、今年も去年と同じ幸せを味わう事が出来た、という年に一度だけの幸福の象徴を 求めていたのかもしれません。 私も勿論、今年も来年もおせち料理を食べて過ごしていくでしょう。 幸せの象徴として。