おせち料理の思い出

正月のおせち料理には各自色んな思い出があると思います。子供頃楽しみだった人もいれば苦手な人もいたでしょう、ここではそんなおせち料理の思い出について書いています。

嫁ぎ先で初めて食べた注文したホテルのおせち料理

私の家では幼い頃からおせち料理は家で作っていました。
私もおせち料理作りを大晦日は手伝ったりしました。
とは言え、若かったので遊びに出てしまうこともありおせち料理の味付け、
作り方は母の指示がなければ作れないレベルでした。

 

だから、結婚して初めての嫁ぎ先で迎えるお正月はどのようなおせち料理を作るのだろうととてもドキドキしました。

私でちゃんと手伝えるのだろうか・・・。と。
私の嫁ぎ先は私の家とそう変わらない雰囲気の一般家庭。

でもきっとおせち料理はその家の味があるに違いないと思っていました。
離れて住む夫の実家に帰る時にエプロンも一緒に荷物に入れて覚悟していました。

 

嫁ぎ先に帰るとお客様扱いです。大晦日になってもそれは変わらず、
義母もとてものんびりしている様子。
私の実家の大晦日の忙しさとは全く違います。

スーパーも元旦から空いているご時世。買い出しにもなかなか行かないので、
は大晦日かと思っていたら、何と宅配業者がおせち料理を運んできました。
「!!!」とても驚きました。
おせち料理を注文するのは若い人や大勢人が集まる家だと思い込んでいました。

 

宅配業者からおせち料理を受け取ると
「今年は冷蔵のものを頼んだから冷蔵庫かしらね~。」と義母が一言。

そこで私は初めておせち料理を毎年、外注していることを知りました。

それなら早く言ってほしいと夫に言うと、
おせち料理はそういうものではないのかと言われこれまた驚きました。

話を聞くと夫にはお雑煮は食べても重箱に入るおせち料理の記憶はないようでした。
いつの間にかデパートのおせち料理が並ぶようになっていたそうです。

 

同じような家庭と思っていたけれど、
家によっておせち料理も違うものだと改めて実感しました。

夫の家は転勤族で祖父母も早くいなかったので、
おせち料理を教えてもらうことも作ることも義母はしなかったのかもしれません。

嫁である私にとってはおせち料理を作らなくても良く楽ではありますが、
何か物足りなくも感じます。

 

そして初めて食べる注文したおせち料理ですが、和洋中の三段重ねのものでした。

木の箱に入っていてお品書きつきです。
洋食のお重にはテリーヌやキャビア、パイ包み、ローストビーフ、ロブスター等普段食べない食材がたっぷり入っています。

和食のお重も定番のものに加えアワビ、
いくらなどもふんだんに入っていてこれまた驚きです。
中華のお重はエビチリから始まりピータンまではいっています。

 

とてもバラエティにとんだ内容で美味しく頂きましたが、
実家の手作りおせち料理が懐かしく思えました。

はじめての外注おせちは育った環境の違いを知る少しほろ苦い思い出になりました。

おせち料理の存在意義~今年も食べられるという幸せ~

私の子供の頃のおせちの思い出。 それは「黒豆」に始まり「黒豆」に終わります。 おせち料理=「御節料理」と呼ばれる非常におめでたい食べ物。

そんな認識で毎年我が家でも元旦の朝には近くのスーパーで予約したおせち料理を食べていました。 いや、正確には当時「食べさせられていた」ような気がします。

 

「どれも一口以上は食べなくてはならない」

 

というルールの下、幼少期は苦手であった黒豆や昆布巻きなど、 「なんとなく食べないと怒られるor悪いことが起きてしまうかもしれない…」という恐怖の元、食べていた記憶があります。

私は父母弟との4人家族でしたが、数の子や玉子など子供にとって食べやすい物は弟が端から食べてしまうし、親は 是非子供に…と、気づいたら私の取り分が増えていく始末。 子供の頃はあんまり良い思い出がありませんでした。

 

ですが今自分も当時の親くらいの年齢になり、気づいた事があります。 それは、おせち料理はお目出度い物として食べる、という意味合いの他に、 「今年も家族でお正月を迎えられた」という、家族の幸福度を表す象徴としての意味合いもあるんじゃないかなと 思いました。

そう、親も実は変化していく世の中で、他の大多数の家庭と同じく、今年も去年と同じ幸せを味わう事が出来た、という年に一度だけの幸福の象徴を 求めていたのかもしれません。 私も勿論、今年も来年もおせち料理を食べて過ごしていくでしょう。 幸せの象徴として。